
長らくストリーミング配信されていなかったAbandoned Pools『Humanistic』。Eels脱退後のTommy Walterが生み出したデビュー作は、オルタナティブ・ロックとエレクトロニクス、ポップセンスが交差する2000年代の隠れた名盤だった。

2001年に発表されたAbandoned Poolsのデビューアルバム『Humanistic』は、長らく一部地域でしかデジタル配信されず、多くのリスナーにとって“語られることはあっても簡単には聴けない作品”だった。しかし2026年、Tommy Walter本人のアナウンスにより、Extasy InternationalとBMGの協力によって国際的な配信が実現した。20年以上の時を経て、このアルバムはようやく新たな世代へ開かれることになった。
Abandoned Poolsは、Eelsの初期メンバーとして『Beautiful Freak』にも参加したTommy Walterによるプロジェクトである。Eels脱退後、彼は自らのソングライティングを前面に押し出す形でAbandoned Poolsを始動させた。『Humanistic』ではボーカルだけでなく多くの楽器演奏や楽曲制作を担い、事実上ソロ・プロジェクトに近い形で作品を完成させている。発売当時からオルタナティブ・ロック・ファンの間で高い評価を受け、「The Remedy」はMTVやラジオを通じて広く知られる存在となった。
興味深いのは、本作が2001年作品でありながら、現在聴いても驚くほど古びていないことだ。当時のオルタナティブ・ロックには、ポスト・グランジやニューメタルの巨大な潮流が存在していたが、『Humanistic』はそのどちらにも完全には属していない。歪んだギターとエレクトロニクス、内省的なメロディとポップなフックが共存し、どこか夢見心地な質感さえ漂わせる。その感覚は後年のインディーロックやドリームポップの文脈から振り返ったとき、むしろ先進的に響く。
アルバム冒頭を飾る「The Remedy」は、その特性を端的に示す楽曲だ。アコースティックな質感と重厚なギター、繊細なシンセサイザーが同居し、Tommy Walterの柔らかく陰影のある歌声が全体を包み込む。続く「Mercy Kiss」ではメロディアスな側面が前景化し、「Start Over」ではサンプリングやループを用いたアレンジが顔を覗かせる。2000年代初頭のオルタナティブ・ロック作品でありながら、ジャンルの境界に頓着しない自由さが全編に広がっている。
特に中盤以降の流れは見事だ。「Monster」から「Blood」、そして「Suburban Muse」へ至るアルバム前半から中盤への流れでは、ノイズとメロディの均衡が絶妙に保たれ、「Sunny Day」では幻想的な音響処理がアルバムの空気感を決定づける。厚みのあるギターサウンドを用いながらも決して攻撃的になりすぎず、むしろ浮遊感や余韻を重視している点に、本作の独自性がある。後年のシューゲイズ再評価やドリームポップ人気を経た現在だからこそ、その魅力はより理解されやすいのかもしれない。
また、本作は『Clone High』との結び付きによって語られることも少なくない。アニメ本編やオープニングを通じてAbandoned Poolsを知ったリスナーは多く、近年の『Clone High』再評価によって『Humanistic』そのものへ関心を持つ若い世代も増えている。実際、2020年代に入ってからはSNSやコミュニティ上で本作を再発見する動きも見られた。
そして『Humanistic』を語る上で欠かせないのが、その制作過程である。2011年、Tommy WalterはBandcamp上で『Humanistic Demos』を公開した。そこには「The Remedy」「Mercy Kiss」「Blood」「Fluorescein」などアルバム全曲のデモが収録されており、1999年から2001年にかけてサウス・パサデナの自宅で録音された初期形態を聴くことができる。Tommy自身によれば、「Blood」はアルバムのために最後に書かれた曲であり、「The Remedy」はその直前(最後から2番目)に完成した曲だったという。完成版と聴き比べると、後のスタジオ録音によって音像は大きく変化しているが、楽曲の核となるメロディや感情はすでにこの段階で確立されていたことが分かる。
その後のTommy Walterは決して表舞台から姿を消したわけではない。しかし、その歩みは決して順風満帆なものではなかった。『Humanistic』によって注目を集めた後、Abandoned Poolsは2005年にセカンド・アルバム『Armed to the Teeth』を発表するが、その後はレーベルとの関係や流通面の問題も重なり、活動は停滞を余儀なくされる。2012年に『Sublime Currency』をリリースした際のBillboardのインタビューでWalterは、一時期ほとんど燃え尽きたような状態に陥っていたことや、メジャー・レーベルとの経験によって創作意欲そのものを見失いかけていたことを振り返っている。それでも彼はAbandoned Poolsを終わらせることを選ばなかった。Bandcampでは『Humanistic Demos』をはじめ、未発表曲や初期バージョンの音源を継続的に公開し、作品の背景や制作過程をファンと共有し続けてきた。2015年にはセカンド・アルバム期の未発表バージョンである「Tighter Noose (Early Version)」をBandcampで公開し、さらに2024年にはクラウドファンディングによって実現した『The Haunted House』をリリース。商業的な成功を追い求めるよりも、自らのペースで作品を作り続けることを選んだWalterの軌跡は、結果としてAbandoned Poolsというプロジェクトを20年以上存続させる原動力となった。
だからこそ今回の配信解禁には特別な意味がある。『Humanistic』は2000年代オルタナティブ・ロックの隠れた名盤として語り継がれてきたが、その評価に対してアクセス手段は長らく限られていた。CDや中古市場、断片的に残された動画共有サイトの音源を通じて発見されることはあっても、新しい世代が正規の形で作品に触れる機会は決して多くなかったのである。Tommy Walter自身がBandcampでデモ音源を公開し続けてきたことを思えば、今回の再配信は単なるカタログの復活ではない。『Humanistic』というアルバムだけでなく、その背後にある25年近い創作活動の歴史が、ようやく現在のリスナーへと接続された瞬間でもある。
『Humanistic』は失われた名盤ではない。むしろ長い回り道の末に、本来受け取られるべき場所へ辿り著いたアルバムである。20年以上前にTommy Walterが描いた孤独や希望、現実逃避と憧憬の入り混じった感情は、2026年の現在においても驚くほど鮮明な輪郭を保っている。